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2011年6月18日 (土)

中国だけではない文化大革命

 

中国で文化大革命がおこった当時、私たちは、その背景がなんだったのか、ほとんどなにもわからない状態だった。中国でいったい何が起きたのだろうというのが正直な気持ちだった。何故文化大革命が必要だったのか、新聞は何も答えてくれなかった。そして1989年の天安門事件へと発展し、民主化への動きが始まり、立ち消えてしまった。

 

 

 

いまこうやって歴史を振り返ると、果たして文化大革命は中国だけの特殊な地域の革命運動だったのだろうかという思いにとらわれる。たとえば、アフガニスタンで発生したタリバン。あれもイスラム圏で起きた文化大革命とよべないだろうか?

 

 

 

そういう視点から共通項を探してみた。二つの革命は全く違う文化圏の、まったく異なるイデオロギーに基づいた行動だったはずなのに、なぜこうも行動パターンは類似してくるのだろう。もちろん、比較論はこれだけではない。余談めくので省略するが、比較すればイラン革命も、カンボジアの虐殺も下記の似たような軌跡をたどっていたはずだ。

                                               

 

類似点

 
 

中国

 
 

アフガニスタン

 
 

指導者

 
 

毛沢東

 
 

ムハマンド・オマル

 
 

イデオロギー

 
 

共産主義

 
 

イスラム原理主義

 
 

理想論

 
 

市民は第二革命でコミューン(市民革命)まで発展したかったが、毛沢東は反目する指導者を一掃し権力を回復するのが目的。

 
 

軍閥からの解放、汚職を撤廃し、治安を回復し、原理主義に帰る。

 
 

最初の行動者

 
 

学生

 
 

学生(神学生)

 
 

文化の破壊

 
 

紅衛兵が博物館で文化財を燃やし、孔廟を破壊した。

 
 

バーミヤンの大仏破壊、博物館の仏像の破壊。映画のフィルムの焼却。

 
 

教義の極端な解釈

 
 

「暴力には賛成しないが、悪に対する深い憎しみからの行動は、誰も止められない。」のもと、批判し、集団で暴力をふるった。さらに少数民族の虐殺まで発展。

 
 

コラーンに書いてある原理主義に回帰し、女性にブルカの強制、男性には髭の強要、音楽、娯楽の禁止

 
 

犯罪者の公開処刑

 
 

劇場で地主、富農、反動分子、腐敗分子、右派の人々を殴る、蹴るなどの暴行で死にいたらしめた。

 
 

サッカー場で殺人を犯した者は処刑、盗みは右手を切り落とす。

 

 

 

なぜ、二つの異なる文化圏で似たような革命パターンが起きるのか、また、日本ではなぜ似たような革命パターンをとってこなかったのか?いや、もちろん日本の過去をひもとくと、類似した事件はあった。たとえば、大塩平八郎の乱、天草四郎の乱、幕末の攘夷論もひとつのイデオロギーととらえれば、若者が主流だったし、特に幕末では、外国人殺害や極端なテロ活動、暗殺まで発展した。また、戦後の学生から始まった授業料値上げに反対する学生運動や安保闘争などでは、すでに全学連と呼ばれる組織があった。全学連も始めたのは学生であったし、多数の大学生を巻きこんでいった。あれらも一種の日本における文化大革命と思えないだろうか。

 

 

 

しかしながら、日本では、やがてセクト化し、内ゲバや連合赤軍が起こしたテロへと衰退していったのは周知の事実だ。あの頃の凶気が大規模な民衆運動まで発展しなかったのは、民衆の中にイデオロギーの共通基盤がなかったため、多数の若者や民衆は覚めた目で見ていたように思う。ようするに、中国では毛沢東の時代に、共産主義が民衆の思想の根底にあり、アフガニスタンでは、イスラム教が人々の思想の根底にあった。ところが、日本では、思想の中核が形成されず、思想に影響された学生だけが運動したため、大学というエリアだけの限定された革命となり、多数の若者や民衆を巻きこむほど大規模にならなかったのだろう。

 

 

 

日本で民衆運動まで発展しなかった理由は、他にもいろいろあげられるかもしれない。経済や政治体制の状況も関係するだろう。民衆の不満もパラメターとして考慮すべきだろう。日本だけではなく、他のほとんどの国でも、総体革命や市民運動まで広がらず、学生運動は限定的な運動に終わった。

 

 

 

こういったイデオロギーを宗教や思想と同列に並べ、置き換えてみると、さらに歴史上の焚書坑儒や過去のさまざまな革命や民衆運動のなかに、上の表にあるような項目の類似性を見つけられるのではなかろうか。歴史上では、ほぼ突発的な単独の事件として表れているが、そこには革命の定石なり、方式と呼ばれるものが存在していて上記と似たような行動をしていても不思議はない。

 

 

 

私は歴史学者ではないので、こういった分野の研究をしたわけではない。もし、興味のある方がいたら、是非「革命論」として様々な革命を比較検討していただきたい。そうすれば、似たような事件が起こった時、なぜ起きたのか、いま世界のどこかで起きている革命はどういった方向に進んでいくのかといったことが、将来予想できるように思われる。

 

 

 

こうしてみると、革命の導火線は若者であるかもしれない。いつの時代も、政治や世の中の不正や理不尽に正義心から立ちあがって来たのは若者だった。その導火線から爆薬まで発火し爆発するかどうかは、人々が若者の革命思想に共感できるかどうかにかかっていた。

 

 

 

ただ、警戒しなければならないことは、その若者の純粋な怒りや不満から生じたエネルギーを利用しようして権力基盤を固め、権力の階段を上ろうとする者が必ず現れることだ。革命の混乱で、多数の犠牲者がでても、意にも解せず、革命の理想論だけを説き、その理想の達成までは若者を洗脳する。そして、ある程度の自分で描いた構想が実現すると、今度は若者が邪魔になり切り捨てていったのが中国の文化大革命だった。

 

 

 

そして、そういった構図を描き、若者や革命運動をひたすら利用しようとした人々は日本にもずいぶんいたように思う。純粋に世の中に不満を持ち、世の中を変えようとする若者が一方にあり、それを利用しようとする汚い大人がいたことになる。若者よ、歴史を学び、汚い大人にだまされずに、さらに暴力を使わずに世の中を変えるにはどうすればよいのか、考えてほしい。また世の中を変えるにも、「天の時、地の利、人の和」の三要素が必要だ。これらの要素を考えず、導火線に火をつけても導火線だけは燃え尽きるかもしれないが、爆発までにはいたらないことを歴史が証明している。

 

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