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2016年7月20日 (水)

詩:村の子供は、今どこに

村の子供さ、どこさ行った

村の悪ガキどこ行った。

池で鮒釣り

田んぼに石投げ

巣から、雀の子をかっさらい

蛇を追いかけまわしては、石を投げ

畑のトマトやキュウリをもぎとり

食っていたガキどもは、どこさいるだ


河を泳ぎ回り、魚をとり

秋には、山を走り回り

栗、山ぶどう、アケビをとりあるく

盆には、灯篭ながしで村を練り歩いた

あの鼻たらしの子供はどこさいった


あのころは、多くの子供たちが村にいたもんだ

大きな校舎には1000人もの子供が走り回っていた

木造づくりの建物には

子供たちの思い出がつまっていた


その学校が町の合併や統合の名のもとに消えていく

廃校になって荒れ果てた

木造校舎には、思い出よりも

悲しみが多くなった


ハメルンの笛吹という話を思い出す

笛吹は村からネズミを追い払い

約束を破った村に怒った笛吹は、

その村から子供を取り上げた


この村の子供は

どんな笛吹に連れていかれたのか

都会というハメルンの音色に踊らされて

都会へ行ってしまったのか

夢破れたら、帰ってこい

ここには、おめえたちの故郷がある。

どんな傷ついても、

おめえたちが帰られる場所はここしかねえはずだ


米作りという大事な伝統を子供たちに

伝えるはずだったのに

米作りに、親も自信を失い

子供が出ていくのを

止められね

老齢で、耕作放棄地が増えて

里山も荒れていく


都会という幻想に踊らされているなら、

田舎に幻想をつくって

ハメルンの音色を奏でればよい

子供たちが帰ってくるかもしれない


「村おこし」という言葉のもとに

いろんな企画をたちあげても

いまだ 村はそのままだ

子供もいまだに帰ってこない


村は、じいさまとばあさまばかり

あの悪たれガキが、今海外に住んでいるのだと

どこそこの子供は、銀行で働いているらしい

あそこの息子は、夢やぶれて帰ってきたと

噂話だけが、村の話題になった

村から、いつの頃か

子供のはじけるような笑いが

消えて、どれくらい過ぎたろうか


鮭やアユですら、自分の生まれ故郷に戻ってくる

どうして子供たちは、もどってこない

あの悪たれがきども、もどってこい

おめえたちの育った村が 消えてしまう前に

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