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2016年8月21日 (日)

なぜ、戦争が起きたのか?

1.まえがき

 

「なぜ、戦争が起きたのか?」この問いは、長年にわたって、心の片隅で、くすぶっていた。学校で、日本史というものを学びながらも、大東亜戦争とも、太平洋戦争とも呼ばれた、戦いが、なぜ必要だったのか、私たちは、そのことを、ほとんど顧みないまま、今日にいたっているのではないだろうか?

 

 

 

始めの、ボタンのかけちがいから、戦争へと発展したのではないかと、私も始めは考えていた。満州事変、盧溝橋や、南仏印進駐こそがボタンのかけちがいで、それさえなければ、その後の日本の転落はなかったのではないかとも考えた。歴史に「もしも」という仮定はないにしても、最初のボタンのかけちがいを防ぐことができたら、その後のかけちがいはありえなかっただろうし、日中、日米へと戦争が発展することはなかったと思っていた。様々な本を読んで、その確証を得ようとしたが、ボタンのかけちがいを見つけ出すことはできなかった。

 

 

 

ある人は、山縣有朋が日本陸軍の基礎、軍閥を組織し、統帥権を残したためだと言い、盧溝橋での日中戦争からすべては始まったと言い、ある人は、満州での関東軍の独走が問題だったと言い、さらにドイツと共に三国同盟の締結を進めていた松岡外相が、野村駐米大使とハル国務長官とで戦争回避のために作り上げた日米諒解案を認めようとしなかったことが問題だと言い、南仏印進駐がアメリカを怒らせ、ABCD(米、英、中国、オランダ)包囲網を完成させたと述べる人も多い。国際連盟から脱退が引き金だった。いや松岡外相による三国同盟こそが悪の本源だという人もいる。あるいは、すべて天皇に責任を押し付けて、天皇責任論とする見方もある。さらに言えば、東条を独裁者と見なし、東条と大本営が、全責任を負うべきだという見方も根強い。スケープゴートを作り出し、責任転嫁するのは、単純で、誰もが理解しやすい。その反面、誰でもが陥りやすいパラドックスで、本質が見えてこない。

 

 

 

こうして、考えてみると、それぞれの原因は、戦争を起こすための要素ではあったが、本質にはほど遠い。この大戦について、書かれた本は、数えきれないほどある。それなのに、どの本を読んでも、戦争の本質が見えてこない。

 

 

 

それでは、あの戦争の本質はなんだったのだろうか?

 

 

 

その話を始める前にまず、読んでいる方に歴史上の別の視点から対米戦争をとらえてほしい。

 

 

 

たとえば、アメリカが常に言う、パールハーバーの襲撃は日本側からの卑怯なだまし討ちであり、アメリカは中国の主権を守るための正義の戦争であったというステレオタイプな歴史観を改めなければならない。ただ、対日戦争中に16万ものアメリカ兵士が亡くなったのである。その戦死した人に大義名分を与えるため、上記の理由は必要だと認めることはやぶさかではない。しかし、歴史の事実とは全く異なる。

 

 

 

実は、歴史上で、正しい戦争なぞというものは、なかったし、これからもありえない。戦争を始めるにはアメリカ側の理由があり、日本には日本の理由があったはずだ。その理由が、どんな理由だったのか明らかにしながら、自分が一国のリーダーだったら、どういう判断をすべきだったか考えてもらいたい。

 

 

 

2. 東条が戦争への道を選んだ理由

 

真珠湾攻撃を決断するまでの経緯を述べてみよう。その頃、日本が直面していた危機的状況は次のとおり。アメリカは日本に対して経済制裁を行っている。アメリカからの石油全面輸出禁止、資産凍結令が出され、さらにABCD(米、英、中国、オランダ)包囲網を完成させた。石油備蓄は一年分あるが、このままでは、日本の工業・産業は壊滅的となる。他の国から石油を手に入れられる可能性はない。アメリカと和平を結ぼうにも、アメリカはトップ会談に積極的ではない。さらに、ハル国務長官は「ハル・ノート」と呼ばれる最後通牒とも言える、下記のような無理難題を日本に押し付けた。

 

1)すべての国の領土と主権尊重

 

2)他国への内政不干渉を原則とすること

 

3)通商上の機会均等を含む平等の原則を守ること

 

4)平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状維持

 

 

 

当時の東条の考えは、どうだったのだろう。

 

a) 戦争を避けることは天皇の意思でもあったので、近衛内閣も、東条自身も、何としても対米戦争は避けようとした。しかし、ハル・ノートの内容は、日本にとって絶対受け入れがたい内容であり、実質的には無理難題どころか、戦争するぞと脅迫ともいえる内容だった。

 

b) 戦争を始めたとしても、石油備蓄はもって一年から一年半。軍艦や飛行機を持っていても石油がなければ、鉄くずにしかならない。戦争するならするという決断を早急にしなければならない。交渉を長引かせるという手段もあるが、長引かせるほど、国内の経済は打撃を受け、失業者が巷にあふれることになる。しかも、持っている兵器は油なしに時間とともに使用不可能になる可能性が高い。大砲や軍艦で攻めて来る敵に対して、竹やりで戦うわけにはいかない。戦争するなら早急の決断が望まれた。

 

c) アメリカの要求に対して、当然、服従することはできない。服従すれば、軍のなかには皇道派や不満分子が多くおり、間違いなくクーデターが起きるだろう。関東軍に撤退命令をだしたところで、反発し、拒絶することだろう。日本が分裂することになる。

 

 

 

こう考えると、東条にとって、対米戦争を始めるしか選択肢がなくなる。

 

 

 

始め、なぜ、南仏印進駐がアメリカを怒らせたのかが、私自身、初めはよく理解できなかった。おそらく東条は、初めは南下する気はなかったろう。しかし、対米戦争を始めるにあたって、なんとしても石油や鉱物資源の確保をしなければならない。石炭や食料は満州でも確保できたが、戦争に必要な米、天然ゴム、錫はベトナムにあり、インドネシアまで南下すれば石油も確保できる。

 

 

 

アメリカはどう考えただろう。開戦前は、日本はアメリカから石油を90パーセント以上も輸入していたのである。ABCD包囲網があるので、日本は油を手に入れることができない。そうすれば、戦争を短期で終結できるはずだった。ところが、日本が南下して油を手に入れてしまえば、戦争が長期化する可能性がある。そこで、シナリオを変え、日本が戦争を早急に仕掛けるための「追い詰め」政策に転じた。

 

 

 

中国との戦争が泥沼化する一方で、日本がアメリカと戦争を始めるとは、なんという無節操かと後世の人は考えるが、その頃の日本は、ネズミが、既得権である満州を守りながら、猫によって壁ぎわまで追い詰められたような状態だった。もちろん、猫がルーズベルトであり、ネズミが日本となる。東条に残された道は、「窮鼠猫を噛む」手段しかなかったのだ。ただし、情報戦で敗れていなかったとしたらだが。

 

 

 

司馬遼太郎が「余談」として「太平洋戦争の開戦」についてこう述べている。

 

「著者は太平洋戦争の開戦にいたる日本の政治的指導層の愚劣さをいささかもゆるす気になれないのだが、それにしても東京裁判においてインド代表の判事パル氏がいったように、アメリカ人があそこまで日本を締め上げ、窮地においこんでしまえば、武器なき小国といえども起ちあがったであろうと言った言葉は、歴史に対するふかい英知と洞察力がこめられているとおもっている。アメリカのこの時期のむごさは、たとえば相手が日本でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば、その外交攻略はたとえ同じでも、嗜虐的(サディスティック)なにおいだけはなかったにちがいない。文明社会に頭をもたべてきた黄色人種たちの小面憎らしさというものは、白人国家の側からみなければわからないもんであるにちがいない。」

 

 

 

日本の歴史上で、奇襲戦の例となるのは、織田信長が4千人で、2万とも4万とも言われる今川義元に奇襲攻撃をかけ成功した例だろう(桶狭間の戦い)。また、源義経は精兵70騎を率いて、鵯越の峻険な崖から逆落としをしかけて平氏本陣を奇襲し成功している。当然のことながら、どちらも、事前に敵に情報は伝わることはなかった。大本営の参謀本部は当然のことながら、奇襲作戦に一縷の望みをかけた。

 

 

 

ところが、こともあろうに駐米野村大使と外務省の間の通信は、ほとんど傍受され解読されていたようだ。したがって、ルーズベルトにとって、日本が真珠湾を攻撃せざるをえなくなるまで追い詰めるのは、たやすかったであろう。真珠湾以前に、実は日本は情報戦で敗れていたことになる。しかも、真珠湾攻撃に関しても、ルーズベルトは、事前に情報を入手していた。

 

 

 

おそらく、東条の頭にあったのは、真珠湾攻撃が成功すれば、アメリカの政策を変化させ、和平案まで持ち込めるかもしれない。もし、それがだめでも、南方から油を輸入することができれば、戦局を挽回できる可能性があると考えていたのだろう。東条も、アメリカについて、まったく知識がなかったわけではなかった。アメリカ民主主義では、戦争開始の決議は、大統領の決断のみならず、議会の承認を得なければならず、時間もかかるはずだと信じていたふしがある。ところが、ルーズベルトは、議会の権限を奪って、真珠湾攻撃に対して即座に対応している。それほど、あらかじめ周到に準備されていた。

 

 

 

一方、「敵をあざむくには、まず味方から」という諺どおり、ルーズベルトは、真珠湾攻撃を事前に予知できたにもかかわらず、真珠湾の二人の司令官である、キンメル提督とショート将軍の二人は、真珠湾攻撃に関して全く知らせなかった。いわゆる、対日戦争のためのスケープゴートにしたのである。

 

 

 

なぜなら、「対日戦争」、「対独戦争」への参入のため真珠湾が爆撃されることが、どうしても必要だったからである。すべてがルーズベルトの思惑どおりに事は進んだ、アメリカ国民が一丸となって「リメンバー・パールハーバー」のスローガンのもと、対日戦争へ火を点け、さらに対独参戦へとつながっていった。

 

 

 

米国民に対しても、ハル・ノートという最後通牒を突き付けた事実を隠し、平和交渉が続いていたのに、真珠湾が攻撃されたと演説したのである(事実は日本に最後通牒をつきつけていた)。

 

 

 

3.仮定その一、真珠湾攻撃を行わなかったとしたら 

 

さて、本質論に入るまえに、まず、一つの仮定を設定してみよう。たとえば、あなたが東条の立場にたち、真珠湾攻撃にゴーサインを出さなかったとしたらどうだろう。追いつめられた東条はルーズベルトの思惑どおり、真珠湾攻撃を実施せざるをえなかったわけだが、もし、真珠湾攻撃を行わないという選択肢を取ったとしたら、どうだろう。

 

 

 

ドイツはアメリカ駆逐艦によるドイツ潜水艦へ攻撃の挑発にのらなかった。乗れば、アメリカがヨーロッパ戦線に参戦してくるからだ。ところが、日本の場合、ルーズベルトの筋書き通りに真珠湾攻撃を行ってしまったのである。

 

 

 

日本嫌いで知られるスティムソン陸軍長官の発言にこうある。

 

「日本に最初に発砲するのを許すことにリスクがあるとはいえ、アメリカ国民の全面的な支持を得るには、誰の目にもどちらが侵略者なのか疑いの余地を残さずはっきりさせるために、それをするのが間違いなく日本であるようにするのが望ましいことにわれわれは気が付いた。」

 

 

 

ただ、日本の場合、真珠湾攻撃を行わなかったことが直ちに平和に結びついたかというと、その点は、疑問がある。当時のルーズベルト大統領の本心は、とにかく日本を戦争に引きずりこむことだった。引きずりこまなければ、対独戦争へと進むことができないからだ。したがって、真珠湾が攻撃されない場合、おそらく、第二段階、第三段階の日本包囲網を敷いて、さらに日本を追い詰めた可能性が高い。

 

 

 

仮に、アメリカの要求したことを実行するとなると、日本は、まず日中戦争を停戦に導き、満州からの撤兵を始めなければならない。中国との戦闘で数十万の戦死戦傷者をだし数百億円の国費を費やしたことが、まったくの無駄になってしまう。さらに満州国に対して、日本は約百億(現在の数百兆円)ちかく投資を行ってきた。多大な投資を行い、インフラに膨大な資産をつぎ込んできた。駐留している軍隊がいなくなれば、満州に住んでいた2百万人の邦人はどうなるのだろうか。その見返りもなしに満州を去るとすれば、混乱が起こることは必須。さらに満州にいた関東軍が大本営からの撤退の指示を受け入れたかと言うと、おそらく拒絶したであろう。満州国という利権を手放すわけがないので、大本営と離れて独立独歩の道を歩んだかもしれない。

 

 

 

満州国だけではない。国内でも暴動や内戦、革命が起きかねない。日清戦争と日露戦争で十一万人とも言われる戦死者をだし、日露戦争でからくも勝利するが、賠償金がとれなかったことで、民衆による「日比谷焼きうち事件」があった。米の要求に従順にしたがう弱腰姿勢に、民衆の不満が爆発し、同じような暴動が起きないわけがない。さらに、二・に六事件のような、クーデターが起きることは確かだ。

 

 

 

さて、日本国内で内乱が起きて、分裂状態にあるとしたら、おそらく冷徹なルーズベルトは、B案である、三国同盟からの脱退、C案では、例えば朝鮮半島からの撤収などの無理難題を日本に押し付けて来た可能性が高い。ようするに、豊臣軍が、一時休戦中に家康に大阪城のお堀を埋めさせられたように、この頃になって、戦おうにも、油を枯渇した悲惨な状況下まで追いつめられてしまったかもしれない。

 

 

 

事実、開戦前の外交交渉では、アメリカは松岡外相が結んだ三国同盟から日本が撤退することを要求してくる。アメリカの要求に耐えられなくなれば、やがて反乱軍がたちあがり、真珠湾と同じ構図に進んだ可能性がある。あるいは、クーデターを後押しして、軍備を与え、アフガニスタンのような内戦国家になった可能性もある。最悪の場合は、シリアのように分裂した戦いになった可能性も否定できない。こう考えると、アメリカの要求を受け入れたとしても、平和ではありえなかったろう。

 

 

 

4.仮定その二、天皇が東条を首相に指名しなかったら

 

東条は、頭の切れる軍事官僚ではあったが、少なくとも首相の器ではなかった。近衛の後継首相には、東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)の名があがっていた。統帥権を考えると、皇族が、軍と政府をまとめるのに都合が良かったことになる。しかし、この国家の危機、難局を切り抜けるに、皇族がいったいどれだけの役割を果たすことができただろう。軍部の傀儡となる可能性が高い。

 

 

 

結局、木戸幸一が推したのは東条だった。少なくとも、国を分裂させず、軍部をまとめられる人物は、東条以外は考えられなかったからだろう。それは、天皇自身もそう思っていたふしがある。東条は、天皇崇拝者であり、天皇の意向を忠実に実行できる人物だと思われていたからである。

 

 

 

そんなことは、なかったはずだ。海軍にも世界情勢に通じたふさわしい軍人官僚がいたはずではないかと思われるかもしれない。その可能性は否定しない。むしろ、世界的視野から対米戦争に反対し、満州からの全面撤退を考えていたのは海軍だったと言ってもよい。鋼鉄は、アメリカの生産量は日本の十倍であり、造船能力も四倍という差があることを周知していた。「半歳か一年なら大いに暴れて見せるが、その後は保証ができない」と山本五十六も言っている。初戦で勝つ可能性はある。短期決戦で臨めば、戦局が変化する可能性が高い。しかし、長期戦になった場合は、弾薬、軍艦、油とも不足することは目に見えていると考えていた。だが、御存じのとおり、海軍は、本質的に海の人間である。軍部内での権力構造を構築することや人事の布石は、陸軍の方が一日の長があったと考えるべきだろう。結局、陸軍の主流派に強引に押し切られていくことになる。

 

 

 

こうして考えてみると、天皇の手元にあった首相に任命できるカード、つまりオプションは非常に限られていたとみることができる。開戦後は、東条を首相に任命したことに、後悔した面もあったかもしれないが、当時の状況を考えると、ギリギリの選択であったのかもしれない。日本国民の性格として、人物に能力があるかどうかよりも、状況にあった皆をまとめられそうな人物を選ぶ傾向性があるのは、「ムラ社会」の遺物かもしれない。

 

 

 

こう考えてみると、上記のような状況で、あなたならどういった戦争判断をくだせただろうか?世界的な風潮では、東条とヒトラーを同じような独裁者と重ね合わせている傾向性がある。独裁者とはあまりにも、おこがましい。私には、むしろ、融通の利かない軍人官僚のイメージしかわいてこない。しかも、国際性は、まったくと言っていいほどない。おそらく、地図上や演習上という限られた中では、戦略を立てられる実務家であろうが、周囲状況に合わせて臨機応変な策をたてられる人物ではなかったようだ。だからこそ、ルーズベルトが敷いたとおりのレールの上を走ってしまった、愚かな軍人官僚にしか見えてこない。

 

 

 

5.ルーズベルトの性格

 

それでは、ルーズベルトの性格はどうだったのだろう。ハミルトン・フィッシュの書いた「ルーズベルトの開戦責任」から抜粋してみよう。

 

1)彼は歴史に全く興味を示さなかった。歴史書をほとんど読んでいない。

 

2)彼には知力が欠けていた。深い思考ができなかった。それが必要な場面では、口先だけの、気がきいていると思わせる演説で切り抜けた。彼には、地方都市のボス連中を政治力で懐柔する能力があった。もともと彼はその能力で出世してきた政治家であった。

 

3)彼は行政能力に欠けていた。また彼の立場を利用する親族の(非倫理的)行動にも寛容であった、いやむしろ無神経であったというほうが正確だろう。彼の信じる国益のためであれば、事実の隠ぺいは致し方がないと決め、そのことが正しいか正しくないかなどと悩むことはなかった。

 

4)彼は議会の権限を奪った。予算編成、開戦権限は議会にあった。それを簒奪したのである。ルーズベルト第三期政権は議会から多くの権限を奪っていた。開戦の決定には国民投票が必要であるとの法案をだしたが、必死で抑え込んで否決に持っていた。

 

そのことで、ルーズベルトは、自分でなんでもできると勘違いしてしまった。議会を超越し、司法をコントロールし、国民の上に存在する人物になったと思い込んだ。権力を自らに集中させた。

 

5)「ルーズベルトは、戦争は嫌いだと何度も繰り返した。しかし本音は戦争をしたくて仕方がなかった。(前例のない)三期目の大統領職を確実なものにしたかったから嫌いだと述べたに過ぎない。大統領を三期も務めることは、ルーズベルトにとっては最高の栄誉であり、それをなんとしてでも実現したいとする野心があった。結局、三選を成功させたことで彼の虚栄心は満たされた」

 

 

 

こうして、ルーズベルトに関しての文章を読む限り、とても正義感にあふれた大統領とは思えず、ひたすら、国民をだまして、戦争へと引きずり込み、若者を戦場に送り込もうと画策している稀代の陰謀家の様相を呈している。

 

 

 

6.終戦への道

 

最近、NHKドラマで、薬師丸ひろ子&香川照之が主演した「百合子さんの絵本~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争」があった。

 

 

 

昭和16年 大戦中にスウェーデンに駐在し、「諜報の天才」と称された陸軍武官の夫・小野寺信と、情報収集を行う。極秘にヤルタ会談の密約の内容を入手し、ソ連が日本に対しドイツ敗戦の3カ月後に参戦するという情報を参謀本部へ送り続ける。ところが、日本はソ連と中立条約を結んでおり、敗戦色の濃くなるなかでソ連を介して米英と和平工作を図ろうという動きがあった。日本政府はすでに数か月前からソビエト政府を通じて降伏の動きを見せていたが、スターリンはそのことを利己的な動機から隠していたのである。

 

 

 

確かに、暗号を受け取った事態で、大本営が和平工作を始めていれば、戦争による犠牲を少なくできたかもしれない。しかし、仲介の労をとってくれる国はどこにあったのだろう。ヤルタ会談は、ソ連のスターリン、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチルら連合国首脳による会談でひそかに交わされたものだ。ヤルタ会談で密約を結んでいる以上、イギリスが仲介するとは、思えない。

 

 

 

その後、ルーズベルトは病死。引き継いだトルーマン大統領については、NHKスペシャル

 

「決断なき原爆投下―米大統領 71年目の真実」の中で述べられていることだが、軍の推進者はグローブス准将の主導で、大統領の決断のないまま投下を行った。

 

 

 

グローブス准将が原爆を投下した理由は、「原爆を落とさずに終戦になれば、秘密裡にプルトニウム製造に多額の予算を使い込んだ政府が憲法違反で有罪になったはず、プルトニウム爆弾を落として戦争終結に貢献したと証明する必要があった」と言う。急いで原爆を投下しないと、マンハッタン計画に22億ドルを投じた責任を追及される恐れがあったからだと言われている。

 

 

 

大統領は何もしらずに、原爆投下の決断のないまま、原爆投下を指示していたことになる。ヤルタ会談の密約通り、原爆投下後、ソビエトは満州、大連、旅順にまで侵攻し、(日本の領土である)千島列島や南樺太まで領有した。

 

 

 

さらに、戦後に設立が構想されていた国際連合ではソビエトは三つの票を持つこと、ドイツの戦争捕虜を戦争終了後も使役することも了解されていた。それを拡大解釈し、満州に攻め込んだソ連兵は多数の日本人捕虜を捕まえ、シベリア収容所に送り込み、使役することになった。

 

 

 

ヤルタ会談で、ルーズベルトが死亡しなければ、世界は四大強国によってそれぞれの勢力下に分割されることが決まっていたそうだ。

 

「中国は極東地域を、アメリカが太平洋地域を取り、イギリスとロシアがヨーロッパとアフリカを分割する。英国が世界に植民地を確保していることに鑑みると、ロシアがヨーロッパのほとんどを勢力下におくことになろう」

 

こうしてみると、ルーズベルトに、そこまで譲歩させた、スターリンの方が一枚上手の策謀家であるようだ。

 

 

 

7.戦争が起こる要因

 

こうして、アメリカ側のルーズベルト大統領、日本側の東条英機というそれぞれの国のリーダーをみてみると、お互いに相手国を理解しようとしない、愚かなリーダーに率いられたことは間違いない。東条英機は、国際情勢をまったく理解しない井の中の蛙的な指導者であったし、ルーズベルトも、スチムソン陸軍長官という日本嫌いの側近に引きずられ、冷酷で狡猾に日本を戦争に引きずり込むための布石を敷いていった。

 

 

 

最近、ジョン・G・ストウシンガー著の「なぜ国々は戦争をするのか」という本を読み終えた。第二次世界大戦は残念ながら、具体例としてとりあげられていなかったが、第一次大戦、ベトナム戦争などの実例をあげながら、全編を通じて、一貫した結論を述べていた。

 

 

 

それは、一人の指導者の個性、すなわち相手国をどう思っているかが、問題となる。「相手国を誤った評価をしていれば、戦争勃発になるし、相手国をよく理解していれば、平和が維持できることになる。要するに、あらゆる戦争の直前には少なくとも一つの国家がもう一方の国家に誤った評価を下していることに起因する。その意味では、あらゆる戦争の開始は事故である。戦争そのものが徐々にそして痛ましいことに交戦者相互の真の力を明らかにしていく」と述べている。

 

 

 

下記に、その本の結論を抜粋、要約してみよう。

 

1)指導者はみな、短期の輝かしい戦いの後で勝利を得られると確信している。勝利を疑う者は国家の敵であるから受け入れられない。繰り返し現れるこの楽観主義は、人間の皮肉な愚かさの事例として、歴史家に軽く見過ごされてはならない。それは、独特の強力な感情的瞬間を作り出し、それゆえにそれ自体が戦争の一因となる。

 

2)敵に対する歪んだ認識も紛争の誘発を促進する。

 

3)戦争がさしせまっている時に指導者が、敵対国は自分を攻撃すると確信している場合、戦争になる公算はかなり高い。もし敵対国双方の指導者たちがお互いの意図に関してこうした考えを持っているとすれば、戦争はほぼ確実に起きる。

 

4)指導者が敵対者の力を誤解することは、おそらく戦争のもっとも本質的な原因である。しかしながら、現実の力の配分が問題なのではなく、指導者がどのように力が配分されていると考えているかが重大だということを忘れてはならない。国々が考える力の配分に関する同意が得られないときに戦争は始まるのである。

 

 

 

実は、戦争が始まる前に、アメリカ合衆国では、低賃金でも文句を言わず良く働く日本は低所得の白人の職を奪うようになった。それが社会問題化し、1924年に排日移民法などが制定されたのである。そういった対日感情も、日本に対する無理解、嫌悪感の一因となっていったようだ。日本の文化を伝えないと、異国で、こういった軋轢を生む原因となることが多い

 

 

 

8.組織的要因と国の衰微

 

戦争が起きるのは、国の指導者の相手国への無理解があるだけではなく、組織的な疲弊も考えられるだろう。たとえば、指導者の相手国への無理解が縦軸だとすると、国の衰微は横軸のように働いていく。

 

 

 

最近新刊された本に、金田信一郎著の「失敗の研究(巨大組織が崩れるとき)」がある。

 

巨大組織が膨張期、巨体維持期へ移行するなかで、6つの病、肥満化、迷宮化、官僚化、ムラ化、独善化、恐竜化に陥るとされている。日本の大企業である、理研、マクドナルド、代ゼミ、ベネッセ、東洋ゴム、ロッテなどを例にしながら、それぞれの大企業の失敗の要因を分析している。

 

 

 

その頃の軍部をその公式にあてはめるならば、シベリア派兵で満州という権益を手にした軍部の力は、「富国強兵」のもと、やがて肥満化していく。その肥満化はやがて、軍人官僚という、「軍人にあらずんば、国を守れず」という特権階級をうみだす。有能な政治家や外交官が出現しても、活躍できる場は制限され、軍国主義化への防波堤とはならなかった。やがて、軍人という集団のみの「ムラ化」が始まり、独善となり関東軍のように暴走していく。

 

そういう組織では、考える個人は嫌われる。服従のみの組織が出来上がり、やがて、既得権益体質が出来上がるとともに、変化を嫌う「迷宮化」になり、どんな変化にも対応できない「恐竜化」に変容する。

 

 

 

東条が首相に任命された頃は、間違いなく「恐竜化」の時代を迎えていたようだ。それに、しても、何故アメリカが最後通牒とも言える「ハル・ノート」を提示してきたのか、極東軍事裁判に被告として出席するまで、東条は理解できていたのだろうか?その原因が、ルーズベルトの陰謀にあったことなどの背景を最後まで理解が及ぶことばなかったのだろう。しかし、自分自身で、状況にあわせた、最良の判断をしてきたという奇妙な自信はあったかもしれない。

 

 

 

こう考えると、指導者の交戦国に対する無理解、そして軍事組織が、肥満化し、恐竜化としていったという二重の要素が、日本を戦争へと突き進ませる要因となったことがわかる。

 

 

 

9.現代でも起きている日本人的な性癖

 

中国の有名な文学者、魯迅から内山氏への手紙を、一部、引用してみよう。

 

 

 

「日本人の短所は僕は言わない。僕は日本人の長所をかんがえたよ、日本人の長所は何事によらず一つの事に対して文字通りの生命がけでやるアノ真面目サであると思うネー。」

 

 

 

魯迅は、日本に留学したこともあるので、日本人の気質については、知悉していた。魯迅が言わなかった短所はなんだったのだろうか?それは、大局的な視点がなかった点をついているのだろう。中国人には、生来の天人合一思想があるが、この思想は、儒教の根幹とも言うべきものだろう。為政者の命令に従っても、個人的には天の啓示に従うべきだ。この思想が、中国人にある。 それが、有名な「国に政策あれば、民に対策あり」という考え方につながっていく。

 

 

 

ところが、どうも日本にも儒教が中国から伝わったのだが、その根本思想がないまま伝わり、朱子学などという、為政者にとって都合の良い改良された儒教に変化してしまったようだ。

 

 

 

結局、魯迅の言った「生命がけでやるアノ真面目さ」とは、大局観のないまま、命じられたままに、突き進む日本人の性癖、欠点をよく言い表しているのだろう。無思想、無宗教の側面が、成功すれば、良い方向へと進むことができるが、失敗すれば、方向転換をもできない難局にと導かれてしまう。戦時中で言えば、アッツ島玉砕、硫黄島玉砕となり、特攻を生み出し、回天へとつながっていった。

 

 

 

さらに、信じられないことには、終戦まで、満州に開拓民を送り込んでいる。戦線拡大による食料の増産のため、さらに満州に送り出すことが必要だったとしても、戦局は、敗戦へと転げるように変化していたのに、政策を変更することができなかった。

 

 

 

身近な例をとると、同じようなことは近年でもあった。諫早湾干拓事業などは、その一例だろう。原子力事業や高速増殖炉もその一端。日本の官僚が作った政策は、一度走り出したものは、後戻りや変更を許さない。なぜか、それまで投資してきたことの責任が問われることになるからだ。その点では、マンハッタン計画のため巨額な投資をして、原爆を使用しないのでは、責任が追及されかねないと原爆投下を指示したアメリカとなんら変わることはない。

 

 

 

9.結論

 

第二次世界大戦では、では日本はどうするべきだったのだろうか。

 

圧倒的な兵器、兵力、後方支援ができるアメリカに対して、小国、日本の生き延びる方策はあったのだろうか?

 

 

 

和田竜著の「のぼうの城」では、石田三成率いる秀吉軍約二万に対して、「忍城」は五百で対抗している。城代の成田長親は、「のぼう様」と呼ばれ、領民の人心を把握し、武士という特権階級を保たず、庶民に溶け込み、領民から慕われていた。「忍城」は、難攻不落、大軍でもって攻めても落ちず、水攻めまで行い、やっと和議を結び、開城までこぎつける。秀吉軍は、和議の条件として、一日以内に武士、百姓、町人が城を退去すること、百姓は、村へ戻り、逃散(逃げ出す)せぬこと。武士は所領を去ることともに、城の一切の兵糧、財貨、武器を置いて去ることを命令する。それに対して、長親は城の財の持ち出しを禁ずるなら、武士、領民とも飢えるしかない、再び、城内で戦って死にたいという。その言葉に折れて、所領の財は持ち出しできると撤回する。さらに、長親は敗軍の将なのに、要求条件をだす。百姓が田植えをするために、戦で堤防をつくるために、まき散らした土俵をかたづけよ、さらに降伏して投降した領民の百姓を斬った者の、首をはねよと。

 

 

 

日本列島は細長い島国であるため、忍城のように難攻不落とはいかないが、読んでみると、この長親のたくみな外交術に、圧倒される。しかも、戦略としての外交ではない、領民という視点からの外交であるがゆえに、三成も受け入れざるを得なかった。極東裁判では、東条も反論を述べたが、市民の視点からの反論にはほど遠かったように思う。恐竜化した社会では、情報があふれても、すでにその情報を取捨選択する機能は失われている。何が正しく、何が正しい情報でないか判断するのが難しいのである。だから、大本営は、市民の視点よりは、ひたすら軍事戦略のみ重要視してきた。

 

 

 

最近、発刊された本に森岡毅著に「USJを劇的に変えた、たった一つの考え方」という本があるという。どういう内容の本なのか、まだ読んでいないので恐縮だが、どうしてUSJがあそこまで、成功したのか原因を書き記しているらしい。その本の紹介記事があったので、ここにとりあげてみる。

 

 

 

「消費者という価値観と仕組みにUSJを変えたこと。もっとわかりやすく言えば、『消費者の方を向いて消費者のために働け』だ、商品やサービス供給側の目線は徐々に消費者の感動水準と離れていく傾向にあるという、結果、玄人好みのばくちのようなビジネスになる、ここから脱することが、再生の一歩だった。『会社のお金の使い道や従業員たちのあらゆる努力を、消費者にとって意味のある価値に繋がるようにシフトさせること』」

 

 

 

この紹介記事は、そのまま国民に置き換えることができるのではなかろうか。この言葉をそのまま借りるなら、次のようになるだろう。

 

 

 

『国民の方を向いて国民のために働け』だ、政府や官僚の目線は徐々に国民の目線と離れていく傾向にあるという、結果、玄人好みのばくちのような政策になる、ここから脱することが、再生の一歩だった。『政府のお金の使い道や官僚のあらゆる努力を、国民にとって意味のある価値に繋がるようにシフトさせること』

 

 

 

どうやったら、よりよい社会をつくれるのかというヒントは、ここにあるのではないだろうか。やはり情報公開、情報共有化を進め、間違ったら、国民目線で方向転換できる社会、組織を作っていけるかどうかにかかっている。

 

 

 

それでは、私たちは日常でどんな活動をすべきだろう。単に平和、平和という題目を唱えていることで、平和はやってくるのだろうか。私たち、国民には、国民で平和のためにできることがあるような気がする。私たちが常日頃心がけることとして、下記にあげてみた。

 

 

 

1)国際協力や文化交流を決して無駄だと考えてはいけない。積極的に関心を持ち推し進める必要がある。こういった文化交流がなければ、他民族に対しての理解は生まれない。無理解は、あなた自身がルーズベルトや東条と同じ人間になっていくことになる。孤立した地域は「ムラ」化し、国際社会からとりのこされ、地方を興隆することも不可能になる。しかも、労働人口の減少は、間違いなくそこまできている。日本社会が古くからある伝統や文化を保存しながら、他国の人とも協調する必要とする社会は、すぐそこまできているのだ

 

2)選挙に関心をもち、政治参加をこころがける。国が、政党が、巨大組織が陥る6つの病(肥満化、迷宮化、官僚化、ムラ化、独善化、恐竜化)の段階のどの段階にいるのか、また、6つの病に陥らせないためには、選挙で誰に投票していくべきか考えて投票するべきだ。政治への無関心は、政権の肥満化、迷宮化、官僚化、ムラ化、独善化、恐竜化を促進することになることを、肝に銘じなければならない。

 

3)相撲でモンゴル人の力士が多くなってきているが、偏狭な島国根性や愛国主義は持たずに、強い力士には惜しみない称賛を送れるような、社会になってほしい。アメリカにはアメリカンドリームがあって、夢のある社会となった。日本でも、ジャパンドリームが外国人に描けるような社会を作り上げることが、「ムラ化」を阻止することになる。日本が理想社会になることで、中国および近隣諸国との関係改善へつなげることもできる。

 

4)アメリカ発祥の民主主義は、日本の社会に根づきつつあるが、完璧なものと考えることは大変危険だ。なぜなら、民主主義という旗印のもとに、戦争が起き、現代の戦争が続いている。アメリカの民主主義は、人民のための政治といいながら、常に隣人に銃口をむけた戦いであったと言ってよい。それは、キリスト教の布教とともに、植民地主義がはびこったようなものだ。日本は、武器のない社会だったので、比較的民主主義が根づきやすかったといってよい。そのかわり、討議の少ない、根回しと、多数決だけで決まる民主主義がはびこってしまった。少数意見も反映されるような、新しい形の民主主義がそろそろでてきても良いのではなかろうか。

 

5)文化や情報発信を心がけること。まず、必要なのは日本からの文化の発信。国際交流事業をしていて思うことだが、外国人との文化紹介で典型的にでてくるのは、お茶と、折り紙だった。日本の文化は、もっと多様性にあふれているのではないか。祭り囃子、各地方に伝わる踊り、里山など、まだたくさんのものがある。そういった日本の文化を、どうやったら外国人に伝わるのか、考えてほしい。たとえば、茶の湯は、作法によって、茶を飲むのだが、外国人からでる質問として、なぜ、このような複雑な作法を経て飲まなければならないのか、とダイレクトな疑問をつきつけられる。前もって、答えを用意しておかないと、うまく説明できないものだ。すでにそういう動きは様々な分野である。英語の歌舞伎・狂言、英語による落語、日本の歌を英語の歌詞に変えてみるなど。個人的にはそういった海外公演や異国での文化活動に、政府からなんらかの積極的な資金援助があってもよいのではないかと思っている。

 

 

 

「戦争は人間の心の発明したものである。その人間の心は平和を発明することもできる。」とは、ノーマン・カズンズ博士の言葉である。平和のために私たち一人一人が、何ができるのか、熟慮する必要がある。昨今、保守的な国の指導者が現れてきているように思う。愛国であることは、避難されるべきものではないのだが、だから他国を嫌い、他国の文化を、歴史を見下すような指導者が現れるのは、戦争への第一歩であるととらえるべきだ。

 

 

 

国民にとってよりよい社会をめざすには、既得権益や特権階級をなくす努力を継続し、常に国民の視点で、既得権益や官僚に振り回されることなく、政策が国民にとって本当に良いものなのかどうか判断し、状況の変化とともに、政策が化石化することなく、政策を思い切って、ダイナミックに方向転換できる国をめざしたいものだ。

 

 

 

結論となるが、他国の人や文化を理解し、自分や自分の文化を伝えようとする活動は、結局のところ、自分と他人を分けへだたりなく、つきあうということになるだろう。逆説的にいうなら、同国人とのつきあいができない人が、他国の人とつきあうことがうまくなるとは、なかなか思えない。他国の人との交流も、結局は自分と他人、人間と人間との交流にゆきつくのかもしれない。

 

 

 

参考文献:

 

日本の戦争 田原総一郎著

 

ルーズベルトの開戦責任 ハミルトン・フィッシュ著

 

ルーズベルトの責任 チャールズ・A・ビーアド著

 

 

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コメント

山本五十六が”半年から一年なら暴れられる”と進言したらしいですがその半年後米國が和平交渉につくだろうと軍部はあまりにも無責任で楽観的な決断を下したことに憤りを覚えます。たとえ日本側に有利な結果に戦争が終結していたとすれば今の日本はどうなっているのかと考えるとぞっとします。最近トランプが日米貿易の不均衡(米側の主張)に対して’我々はパールハーバーを覚えている’と言ったようですが1969年から2008年まで米国に住んでいた者として米国人のパールハーバーに対する特別な思いが非常に強いことを何度となく感じさせられてきました。このことを日本人はあまり理解していません。日本人が原爆にたいしての思いに対して米国人はけろっとしているのと似ています。いくら米国側は海軍のハワイ攻撃を事前に察知していた。また日本側は事前通告を試みたが種々の不幸な不具合が重なったことによって奇襲となったようです。が、結局、戦艦アリゾナが沈没し乗組員ほぼ全員が海の藻屑と消えたことに違いありません。宣戦布告は攻撃の前、何時間、何日が決まりなのかは知りませんが日曜早朝に攻撃したことは事実です。しかしハワイでの非戦闘員の死亡は200人以下のようですし原爆二発を含む日本人の一般人の死亡数は米国のそれを圧倒しているのも事実です。残念なのは米国が事前に原爆を落とす用意があること、また最初に東京湾に落としてその威力を示すこともできたのではと思います。
話は飛躍しますがオバマ前大統領が広島へ訪れたとき国内の政治的圧力が非常に強く働いたことは想像に難くないですがノーベル平和賞を受賞した人ならばその政治生命を賭してでも原爆は間違っていた、米国民を代表して謝ると言って欲しかったと思います。

有名大学出の議員達の不祥事が目立ちます。彼等は国を代表しており、国民の税金を受けているのでもう少し真剣に政治に取り組んで欲しいと願います。特に金銭的な不祥事に対しは即、議員の資格剥奪、また秘書の行為に対してすべて議員の責任。自分は知らなかったでは通用しないとする。また領収書は一円から記入する。一般企業の社員がそうやっているのに税金を使っていながら一定金額までは不問というのはおかしい。議員資格を剥奪されたものは2度と議員、また公務員の仕事にはつけないという厳しい法律が必要だと思います。

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